夜中ですから/リハビリ

 お買い物をするとね。
 こういうふうに、何かを作ってみたくなったりするんです。




              フ ァ ー ス ト コ ン タ ク ト




 間もなく、1番線に電車が参ります。白線の内側まで、お下がり下さい。


 駅のホームにアナウンスが流れ、直後に頭の奥の方で音が鳴り出す。プレイヤーをカーディガンのポケットに仕舞い、電車がやって来るのをその場で待つ。
 カナルタイプのイヤフォンから流れ出すのは柔らかいピアノの音、それから優しい女性の歌う英語。
 下り方面へ向う通学電車で椅子に座り、プレイヤーから流れる音楽に耳を傾けるのは杏紗にとって至福の時間だった。自宅の最寄り駅から高校までは急行電車で4駅分、時間にして約20分の行程は数日積み重ねればすぐにCD1枚分くらい聞き終えることが出来る。
 仲のよいクラスメイトたちは皆反対方向に自宅があるせいで、行きも帰りも杏紗は一人の時間を過ごす。元々、一人は苦にならない。どうしてだか自分では覚えていないけれど、母親が言うには
『絵本を見せるか、音楽を聞かせておけば勝手に一人で遊んでいた』
 ということだったから、幼い頃から一人遊びが得意だったんだろうと思う。自分の中ではハッキリとした記憶がないから、たぶんとしか言えないけれど。
 ホームに滑り込んだ電車は下り方面だから、通勤通学ラッシュのこの時間でも座ることが出来る。白いコードのイヤフォンを嵌めたまま、杏紗はいつもと同じドアをくぐって、青いシートに身体を沈める。
 いつもならそのまま目を閉じて20分、音楽に浸るけれど、今日はふと視線を向かいのシートへ向けた。
 何となく、向かい側から見られているような気がしたのだ。
 向かい側のシートに座っているのは紺色のネクタイを締めた、自分と同じような高校生。今までこの電車で乗り合わせたことがあったか記憶を手繰ってみたけれど、思い出せない。
 彼の黒く、耳の下まで伸びた長めの髪は友人が熱を上げているアイドルグループのメンバーのヘアスタイルによく似ている。けれど彼とは似ても似つかない、キツネを思わせる吊り目に睨まれているような気がして、杏紗は顔を顰めた。
 視線を互いに動かさないままでいると、1曲終わったのか頭の奥を満たす音が消えた。そこでようやく杏紗から目を反らす。キツネ目の相手にちらりと視線を投げると、相手はまだ杏紗のことを見ていた。
 少し間が空いて、また耳を音楽が通り抜けていく。そうしていつも通りに目を閉じ、束の間の音楽鑑賞を決め込むことにした。


 この朝2曲目が終わり、目を開けるとちょうど最初の停車駅のホームへ電車が滑り込んでいくところだった。キツネ目は既に目の前にはいなく、視線だけを動かすとどうやらドアの前に移動している白いシャツと濃紺のパンツの高校生がキツネ目らしかった。
 ピンと伸びた背筋と、思っていたより背の高いキツネ目の頭の天辺に視線を送り、杏紗はまた目を閉じた。


 今まで会ったことがないのに、睨まれるなんて。


 よくない感情をぶつけられた気がして、心のうちにジワジワと黒いものが広がる。
 更に力を入れて目を閉じ、頭を支配する華やかな金管楽器の音に集中することにした。あと3駅乗れば、いつも通り、明るいクラスメイト達が杏紗を迎えてくれる。
 ――通りすがりの男子高校生のことなんか、気にすることじゃない。
 けれどそう思えば思うほど、キツネ目の顔が頭にチラついて杏紗は一人百面相をした。